花も嵐もふみこえて

顔で笑って心で泣いて、オンナは辛いわあ・・・ プニの日常を綴ります

くるまの娘

NHKおはよう日本で
インタビューを受けていた作者をみて
読んでみたくなって図書館で借りてきました。


くるまの娘
くるまの娘
河出書房新社
Digital Ebook Purchas

車で祖母の葬儀に向かう、17歳のかんこたち一家。
思い出の景色や、車中泊の密なる空気が、
家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだしていく。
あの人たちは私の、親であり子どもなのだ。
~帯のあらすじより~



家族の誰かが病気をすると
それまでの日常ががらりと一転します。


主人公の場合、母親の脳梗塞がきっかけ(?)
いやもうすでに崩壊寸前だったのかも・・
そこから、家族の、そしてその親たちの
歪みの連鎖が浮き彫りになる・・・

読むほどに息苦しくなる、お話でした。



作者の言う『家族のままならなさの根源』が
自分たち家族と重なり、とても痛かったです。


うちの息子が病気になったときのことを
思い出しながら読んでしまいました。


息子は発病したとき、自暴自棄になり
娘は不登校になったとき、口を閉ざしました。
私たち夫婦はそれぞれ擦り付け合い
互いに醜態をさらし
信じ合えなくなりました。
舅姑、実家の親、親戚・・
横から斜めから責め立てられ
家族間に不穏な空気がなだれ込み
家族の思いは方々に散らばっていきました。


悲しくて悲しくて
どうしてうちだけが、と嘆きました。

苦しくて苦しくて
外に出ると
普通に日常を送っている人たちが
眩しくて羨ましくて妬ましくて

自分が惨めになりました。
どうしてこんなことになったのだろう?
どこで間違ったのだろうと
子供たちが生まれた日のことから思い出して
楽しく無邪気に笑い合っていた頃が
懐かしく遠く
幸せだったと思っていたのはただの幻想だったのかもと
過去をも疑ったりして。
実際、子育てにも問題があったと気づいて。

いつか壊れていくんじゃないかと薄々感づきながらも
目を反らしていたのは自分だと。


絶望的な毎日に
今起こっているこの状態に蓋をして
かわいいはずの子供たちのことも
なかったことにしたくなりました。
主人公の親同様、最低な親です。


でも、普通って何?

『普通』の基準が自分の中で切り替わったとき
『うちの日常』が『普通』になりました。
嵐のようだった数年が過ぎて
いつの間にか子供たちとの距離が縮まり
気が付けば家族の絆が

前より深まったようでした。


主人公の救いようのなさげな家族の未来も
そうなる日が来るといい。
願っています。




×

非ログインユーザーとして返信する